谷 好通コラム

2019年02月08日(金)

2.08.手術をする気になってしまった。憂鬱です。

昨年11月に発症した腰の激痛は「脊柱管狭窄症」であり、
今年の1月に手術を予定されたのですが、
症状の経過なのか、先生の都合なのか、検査の結果なのか、
なぜだか分りませんが
改めて3月18日に手術決行の変更の予定が立ちました。
この日は、ちょうど私の67才の誕生日です。
何も誕生日に手術なんてしなくてもいいのに・・・・

しかし、今年になって、
風呂桶の湯につかる入浴にしたら、
(私は何年も前から毎日シャワーを浴びる入浴であった)
温浴が腰を温め、
血行を良くする効果があって、
腰にあった違和感が無くなり、いたって腰が軽くなったので、
いつもの西部医療センターの稻田先生に訳を話して
「手術をしないで済むのではないでしょうか?」と言って見ました。
そうしたら、
いとも簡単に
「じゃ、今回の手術は中止して、もうちょっと粘って見ますか。」
と、一旦は言ってくれたのですが、
でも色々と話すうちに
稻田先生が
「しかし、痛みは必ず出てくる。
明日か、来週か、遅くとも数年の内には必ず出るので、
谷さんの場合、まだ寿命の方が長いので、
歳を取ってしまってからそれが出て、
もう手術も出来なくなってしまってからだと悲惨なことになる。
今はまだやれるだけの体力があるのだから、
今の内にやるべきですよ。
簡単にやれるんだから、
やっぱり、やりましょう。」と、言われ、
稻田先生の自信あふれる言葉に
私もすっかりその気になって、
「はい、分りました。やりましょう。」
と、つい言ってしまった。

温浴効果ですっかりと影をひそめてしまった腰痛で、
手術をパスできるかもしれないと思ってわざわざ病院に行ったのに、
すっかりまた、
私は、手術をする気になって、しまったのです。

病院から会社に直行して、
帰り着いた時には、また我に返って、
ツラいと聞いている腰の手術をする事に、すっかり憂鬱になったのです。

手術後、退院までが二週間だと言っていたので、
うんと楽な内視鏡を使っての手術では無さそうで、
切開手術後ベットの上に固定されて動けないのが大変つらいと聞いている
あの全身麻酔の手術のようだ。
今の世は、インターネットで何でも調べられるので、
調べれば調べるほど、
あのツラい腰の手術の様子を知るばかりで、
憂鬱になってくる。
また、こんなことを書けば書くほど、
またどんどん憂鬱になってくる。

今日はいまのところ最低の気分です。

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2019年02月07日(木)

2.07.みんなで知恵を出し合い、感性を寄せ合って造ったら

1月25日に書いたブログ
お客様の気持ちになって思っているといくらでも出てくる」で、
せっかく自分の足を使って配るポスティングならば、
そのチラシはお客様が見てどんな風に思うのかを
自分自身で感じられるチラシを配った方がいいと書いたら、
地域を代表した店長たちが、
自分が思ったチラシを造ってくれた。

チラシそのものをデザインしたのはデザイナーたちだが、
そのアイディアは本当に店長たちが工夫して書いていました。
こんな風にみんなで知恵を出し合い、感性を寄せ合って造ったら、
とてもいいものが造れそうな気がして、
とても嬉しかったのです。

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2019年02月06日(水)

2.06.どこまでも可哀相な人

小学校四年生の女の子が、父親に虐待されて死亡する事件がありました。
テレビの朝バラエティー番組ではその女の子の悲劇を、
父親の非人間的な犯罪とするだけでなく、
その子を救える立場にありながら、
むざむざと犯罪者に幼子を引き渡してしまった柏児童相談所の
間接的な犯罪行為は残念でした。
記者たちがいくら追求しても、
言い逃ればかりの所長には日本国中が失望したでしょう。
こんな情けない大人に殺された女の子は哀れです。
日本国中で地団太踏む音が聞こえて来そうです。

もう一つ悔しかったのは、
母親が、子供が殴られていれば自分が殴られずに済むので放置したと答えた事、
そう答えれば、
悪いのはあくまでも父親であって、
母親である自分も被害者だと責任転嫁する卑怯さと、ふてぶてしさ。
自分も被害者であるのならば、子供を連れて逃げれば良かったのに、
そうすれば、少なくともあの女の子は死なずに済んだのに。
それどころか、
母親が女の子に食事を与えていなかったから
死んだ女の子の胃は空っぽだったという。
何とも残酷な母親ではないか。

そんな冷酷な母親でも、
自分も被害者の側であると言いたかったのだろうか、
自分も殴られたことがあったので、
自分の娘が殺されるまで虐待されても、
自分が殴られるのが嫌だったので、放置した。
「自分も被害者なのだから、仕方がないのだ。」そう言いたかったのだろうか。
そういう人はいる。
たとえ自分の娘が殺されても、
それを止めなかったのは、自分も暴力を受けていたのだから、仕方がない。
自分も被害者だ。
とんでもない。
この母親は実際に手を下した犯罪者である父親とまったく同じ罪であり、
自分の娘を殺した張本人に違いない。

この人はそれが犯罪であって、
娘にとっては残酷な仕打ちでしかないことは理解できないだろう。
あくまでも自分は可哀そうであり、
相手にとってどんな害を加えようと、
それは自分は被害者なのだから仕方がない。
その被害から何十年も経っても、それは昨日の事と同じであって、
その報復は、
いつまで経ってもずっと正しい。
どこかで聞いた事のある話ですね。

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2019年02月05日(火)

2.05.昔々の話「暇を持て余したら、釣り堀に行こう。」

今日、ちょっとした用事があって三重県の四日市に行きました。
四日市市には「四日市店」があるので、当然、寄ります。
三重県には5店舗ありますが、
年末に全部行ったつもりがあったのですが、
田中店長に言わせると
「年末、うちだけ来ませんでしたよ。」だそうで、
私は憶えていないのですが、何かの都合で、パスしたのかもしれません。
本人はすっかり忘れてしまっているのですが、
店の人はよく憶えています。
参りました。です。

ところで今日の四日市店は「ヒマ」で、
スタッフは田中店長一人でした。
東副店長は年末明け恒例の一週間休みの最中で、
斎藤スタッフは週休の内の一日です。

閑散期である二月の平日は、
よく晴れ上がっていても一人で営業できる程度で、
スタッフが二人いれば早速ポスティングなどをしに出て行くが、
基本的に閑散期は出来るだけ休日にする。

私が独立したころは、正月三が日を休むだけで362日を嬉々として働いたが、
閑散期で店舗が暇な日は、
お客様の方にマインドが無いので、
ジタバタとして販促策に精を出しても効果がある訳ではないので、
近所の釣り堀へ行って”サボった”。
みんなに言って行ったのでサボったとは言わないかもしれないが、
気分はすっかりサボり気分。
近所の釣り堀の鯉は、
餌をちゃんともらっていないかのようにガツガツ食うが、
あまりにも簡単に釣れるのですぐ飽きて、
池の端でボーっと仕事の事を考え始めて、無性に仕事がしたくなる。

閑散期の暇な日、
お客様のマインドも冷えているので、
焦っても仕方がない。
今日の四日市店、田中店長のように、
みんなを休ませてしまって、一人でのんびりと店を開いているのも一つ。
私は、昔、釣り堀に行って、
かえって、仕事を無性にしたくなって、
頭をリフレッシュできたような気がする。

四日市店は十二月が492万円で前年同月比136%、
今年の一月が234万円で前年同月比143%、
開店してから2年目で、
順調にジャンプを重ねていて、平月は300万円に届いたり届かなかったりで、
採算ベースにはすでに乗っている。
忙しい時期にはアルバイトを入れたりもしているようだ。

二年目のジャンプが順調に来ている四日市店は、
この四月に入ってくる新卒の新入生65名の内、きっと誰かを貰えるのだろう。
そうやって順調に成長していくのです。

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田中店長

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2019年02月04日(月)

2.04.また書けないでいますが、でも、眠れない訳ではない

これを書くのはたいてい夜。
夜、食卓机に向かって書こうとしても、書くべきことが出てこないと、
たいして粘ることもなしに、素直にさっさと眠ってしまう。

それでも気力でちょっとでも書き始めると、
文字が文字を呼ぶように次から次へと書けることもあるが、
年とってからは割とあきらめが早く、
素直にさっさと寝てしまうのです。
悶々として考え込んで眠れないことはほとんどありません。
たまたまそういうことがあっても、寝酒を一杯飲めば、
百発百中、すぐに寝てしまう。
テレビが面白くて夜更かししてしまうこともあるが、たまのことだ。
だから、寝不足で悩むようなことはまずない。

書けない時は、
自分の頭の中がネガになっていて、
素直に書くと、良識を疑われるような内容になってしまうので、
文字に出来ないことが多い。
あるいは文字面が深刻そうで、心配を掛ける予感がするときは、
途中で書くことを辞めることもある。

たとえば、死について思う事もある。
昨日の夜書き始めた文は、今にも自殺しそうな内容になってしまったが、
本人としては、全くそんなつもりはなく、
文字を繋いでいったら、そうなってしまっただけ。

そう前置きした上で、
あえて載せてみよう。

「終わり良ければすべて良しか?」

やりはじめの動機とか、
何をどうやって来たのかは、色々あるのだろうけど、
結局、
それで最終、どうなったかが問題であって、
はじめとか途中は、終わりがどうなったのかでそのすべての価値が決まる。
「終わり良ければすべて良し。」とは、そういうことか。
その意味で言えば、人は本来的に悲劇に終わることが決まっている。
「死」だ。
人は100%の確率で死ぬことが決まっている。
そして、死は人がゼロになる事であって、
それが早すぎても、遅くてもゼロでしかなく、
多くの人に惜しまれてのものであっても、そうでなくても同じゼロはゼロ。
その経過としての人生が快楽に溺れていたとしても、
あるいは逆に苦難に満ち溢れていたとしても
多くの人に役に立ったか、無用であったかも含めて、
ゼロはゼロでしかない。
人の死を、人がゼロに帰することとするならば、
その意味に老若の差も、上下の差も、貧富の差も、有意義と無意味の差もなく、
ゼロはゼロでしかないのだろうか。

いくら成功したつもりでも、
その成功をどこへ持っていくことも出来ず、
最後の最後に抵抗の出来ないどんでん返しにあって、
一番望まない終わり方をせざるを得ないこともあるのだろう。
それでも、ゼロはゼロ。
そう思うとあきらめもつく。
望んでゼロに戻ることも一つの方法だとしても、
そんなことをしてもゼロはゼロ。何も変わらない。

終わり良ければすべて良しかもしれないが、
その反対でもゼロはゼロなので、どちらでも変わらず、
ゼロになることを受け入れるしかない。

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谷 好通

代表取締役会長兼CEO

谷 好通

キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

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