谷 好通コラム

2019年02月04日(月)

2.04.また書けないでいますが、でも、眠れない訳ではない

これを書くのはたいてい夜。
夜、食卓机に向かって書こうとしても、書くべきことが出てこないと、
たいして粘ることもなしに、素直にさっさと眠ってしまう。

それでも気力でちょっとでも書き始めると、
文字が文字を呼ぶように次から次へと書けることもあるが、
年とってからは割とあきらめが早く、
素直にさっさと寝てしまうのです。
悶々として考え込んで眠れないことはほとんどありません。
たまたまそういうことがあっても、寝酒を一杯飲めば、
百発百中、すぐに寝てしまう。
テレビが面白くて夜更かししてしまうこともあるが、たまのことだ。
だから、寝不足で悩むようなことはまずない。

書けない時は、
自分の頭の中がネガになっていて、
素直に書くと、良識を疑われるような内容になってしまうので、
文字に出来ないことが多い。
あるいは文字面が深刻そうで、心配を掛ける予感がするときは、
途中で書くことを辞めることもある。

たとえば、死について思う事もある。
昨日の夜書き始めた文は、今にも自殺しそうな内容になってしまったが、
本人としては、全くそんなつもりはなく、
文字を繋いでいったら、そうなってしまっただけ。

そう前置きした上で、
あえて載せてみよう。

「終わり良ければすべて良しか?」

やりはじめの動機とか、
何をどうやって来たのかは、色々あるのだろうけど、
結局、
それで最終、どうなったかが問題であって、
はじめとか途中は、終わりがどうなったのかでそのすべての価値が決まる。
「終わり良ければすべて良し。」とは、そういうことか。
その意味で言えば、人は本来的に悲劇に終わることが決まっている。
「死」だ。
人は100%の確率で死ぬことが決まっている。
そして、死は人がゼロになる事であって、
それが早すぎても、遅くてもゼロでしかなく、
多くの人に惜しまれてのものであっても、そうでなくても同じゼロはゼロ。
その経過としての人生が快楽に溺れていたとしても、
あるいは逆に苦難に満ち溢れていたとしても
多くの人に役に立ったか、無用であったかも含めて、
ゼロはゼロでしかない。
人の死を、人がゼロに帰することとするならば、
その意味に老若の差も、上下の差も、貧富の差も、有意義と無意味の差もなく、
ゼロはゼロでしかないのだろうか。

いくら成功したつもりでも、
その成功をどこへ持っていくことも出来ず、
最後の最後に抵抗の出来ないどんでん返しにあって、
一番望まない終わり方をせざるを得ないこともあるのだろう。
それでも、ゼロはゼロ。
そう思うとあきらめもつく。
望んでゼロに戻ることも一つの方法だとしても、
そんなことをしてもゼロはゼロ。何も変わらない。

終わり良ければすべて良しかもしれないが、
その反対でもゼロはゼロなので、どちらでも変わらず、
ゼロになることを受け入れるしかない。

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谷 好通

代表取締役会長兼CEO

谷 好通

キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
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