谷 好通のプレジデント・コラム

KeePer.KeePer LABO のアイ・タック技研(株)の社長コラム

2012年05月15日(火)

自分の本名で語る信頼と繁栄

このサイトにもスーパーGTに関わるFACE BOOKが掲載されていますが、
どうすればいいのか私はトンと分かりません。
簡単だから憶えればいいのですが、
自身のIT部分での進化をあきらめてしまっていると言うか、
とりあえず、イカンなとは思っていますが、
面倒になってしまっているので憶える気がなかなかないのです。

しかしFACE BOOKが世界一の規模を持っていて
世界中の利用者が天文学的な数の大成功のSNSであることは知っています。
その成功の大きな要因が、
「匿名」「ハンドルネーム」を排除して、
必ず「実名」で自分の言葉を語り、載せることを
義務付けている仕組みであるからだと聞きました。

自らの名を正々堂々と語って物を言うには、
自分の言葉に責任を持たなくてはならないので、それなりの覚悟がいります。
本当のことしか言えません。
ITという公の世界で物を言うのですから、
実名で嘘を言えば、
その人を知っている誰かがすぐにその嘘を見破ってしまいます。

それに自分の中のひがみとか、ねたみとか、
自分でも本当は分かっている醜い部分から出てくるところの
人を傷つけるような言葉は、
本名を語って言えるものではありません。
だから、妖怪のような人を傷つける者がいられる場所ではないので、
たくさんの人たちが安心していられるので、
どんどん、たくさんの人が集まってくるのでしょう。
なるほどと思いました。

自分の名を語って話をする人の話と、
自分の名を語らないままの人や、
偽名を使って話す人の話とでは、
どちらの人の話を信用するのか、おのずと答えは分かります。

ITも、その匿名性によって誰でも参加しやすいので、
拡大してきたような歴史の部分もありました。
それぞれが親しみやすいハンドルネームを自らにつけて楽しんだものです。
それはそれで決して否定するものではありませんが、
しかし、FACE BOOKの大成功により、
匿名よりも、実名を名乗ってのコミュニケーションの方が、
はるかに信頼でき、繁栄する事が実証されてきました。

このホームページでも、昔の流れで
多くの人がハンドルネームで登場していますが、
そろそろ本名でものを言い、書き、載せる時期が来ているのかもしれません。

Posted by 谷 好通 at 22時53分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2012年05月13日(日)

人の役に立つことを潔しとする人生

一昨日、一つのお葬式に出席してきました。
会社の仕事としても大変お世話になっており、
個人的にも大変尊敬している方のお父上のお葬式です。

そのお葬式の中で、
私が尊敬している方、つまり喪主がご挨拶の中で話されたお話に、
私は自分のこれからの人生を変えるような大きな感動をいただきました。

お話の主人公は、85歳でお亡くなりになったお父上です。

「父は、昭和2年、旭川に近い貧しい農村で、
子沢山の、8人兄弟の次男として生まれました。
・・・・・・・・」
(以降、お父上のことを文中ではお名前を控えたいので”彼”と呼びます)


太平洋戦争の末期、青年になった彼は特攻に志願しました。
貧しい農家に育った彼は、いつも空腹で、
特攻に入れば腹いっぱい飯が食える。酒も飲める。
そんなことが志願の理由だったと彼は言っていたそうですが、
それは彼の照れであって、
本当はやはり家族や日本国民を守りたいという強い心情だったのでしょう。

神風特攻隊の基地は鹿児島の”知覧”にあります。
特攻隊には志願すればなれるものではなく、
とても厳しい試験があり、
特攻隊に受かるには優れた身体能力に加えて、
国立大学、当時の帝国大学に合格する以上の知力が求められる難しさです。
(ここの部分は自分で調べました)

彼は15期の特攻隊に参加したかったのですが、
家族から反対され、
説得するのに時間がかかって、16期特攻隊に参加する事になりました。
しかし、この時も、腕の骨を折ってしまい出撃を断念せざるを得なくなって、
結局、17期特攻隊に参加する事になったのです。

15期特攻隊は全員が敵艦に突入、
あるいは途中で撃ち落されたりで”全滅”。
16期特攻隊は、特攻のための機体が足らなかったので、
わずかの人が残されたそうですが、ほとんど全員が帰還せず。
しかし17期特攻隊は、出撃前に終戦になり、全員が生き残ったのでした。

彼は家族の説得、骨折で、はらずも生き残ってしまったのです。
だから今まで生きてこれたのです。
これも人間の”運命”なのでしょう。

終戦後、
特攻隊の人たちは飛行機の操縦ができ、
きわめて優秀な人たちばかりであったので、
生き残った仲間たちの多くは、
民間航空会社のパイロットになり、
のちのJAL、ANAなどで活躍したそうです。
しかし彼には考えがあったのか、
なぜか刑務所の看守になりました。
凶悪犯が収容されることで有名な網走刑務所です。

網走刑務所では看守として勤めていた何十年間、
出世はしませんでしたが、
真面目に、真面目に勤め、無遅刻、無欠勤、早退も1度もなく勤めたそうです。
一方では、お酒が大好きで、いつも仲間たちとお酒を飲み、
博打も大好きで、マージャンなどをよくやっていました。

時に仕事で、
東京へ囚人を網走刑務所から護送することもありました。
昔は飛行機の路線もありませんので列車で片道二日間の旅です。
東京に行き
無事に囚人を送り届けると、東京で一日休みがあります。
すると、博打好きな彼は、早速、競馬に行って、
スッテンテンに負け一文無しになってしまい、
帰りの二日間の旅の間、何も食べなかったことがありました。

飯を食べない彼を見て
同僚が「なぜ飯を食べないのか」とたずねると、
「腹が痛いから飯が食べられない。」と答えたそうです。


網走刑務所で、彼は、
上司と話をする時も、同僚と話す時も、囚人と話す時も、
まったく同じ話し方をしていました。
へつらうこともなく、えらぶったりすることもなく、
わけへだてなく、接し、
誰と話す時もまったく変わらず、同じように話し接しました。
だから彼は、囚人達からずいぶん慕われていたそうです。


囚人が刑期を終え、晴れて釈放になると、
多くの者が網走市の街に繰り出して、酒を飲んで、
それまでの監獄での生活の鬱憤を晴らすように大騒ぎしたそうです。
それで、わずかなお金を使い果たして
一文無しになってしまうのです。
すると、網走刑務所から故郷に帰る列車代もなくなってしまい、
囚人であった時に慕っていた彼に、
「故郷に帰るお金を貸して欲しい、必ず返すから。」と無心をしにきました。
お金に余裕のある彼の家庭ではなかったのですが
そのたびに彼は貸してあげました。

そのお金が帰ってきたことは一度もありません。
それでも、彼は出所した囚人達にお金を”貸し”続けたのです。


そこまで話をされて形式にのっとったご挨拶のあと、
こう続けられた。

残された遺族は、故人に習って、
人のために少しでもお役に立てるように生きて行きたいと思います。


お葬式に列席中に聞いた話しなので、
足らない部分も、聞き間違いの部分もあるでしょうが、
おおよそこんな話だったと思います。
私はこの話を聞きしながら涙が出てくるのを抑えることが出来ませんでした。

お話をされた喪主である方は、私が大変尊敬している人です。
あくまでも懐が深く、厳しくも、
誰にでもわけへだてなく人に接し、
深い、深いやさしさを持った方です。
仕事としてお世話になっているだけでなく、
一人の人間として大変尊敬しています。

そんな方が、
こういう生き方のお父様の家庭に育ったから、今があるのだと、
話をお聞きして、よく解かったことで、
ものすごく納得できて、謎が解けたかのように感動してしまったのです。
わずか四、五分のお話でしたが、深い感動を覚えました。


彼は、望めば民間航空会社のパイロットになれたものを
なぜ刑務所の看守になったのでしょう。

私の勝手な想像でしかありませんが、

運命のいたずらで、特攻で死ぬことなく生き残った彼は、
これからの人生を我が身の立身出世、つまり、
自らの為に生きることを潔しとしなかったのではないでしょうか。
それで、
人生を失敗して刑務所に来た囚人達が、
人間としての心を再び取り戻すための仕事を選んだのではないでしょうか。
死ぬべく覚悟を決めた特攻から生き残ってしまった自分の人生を、
人のために生きることを選んだのではないでしょうか。
だから、
囚人達に対して、上司や同僚に対するのとまったく変わらなく同じように接し、
同じように話しをしたのではないでしょうか。

しかし、もし、囚人を虫けらのように扱う看守や上司がいたら、
彼の囚人に対する態度や接し方は理解できず、
だから、彼は出世もしなかったのではないでしょうか。

かといって、彼が聖人であるわけではありません。
酒が大好きで博打も好きな煩悩あふれる”人間”です。
人間だから、人間を愛し、許し、自分の煩悩をも煩悩として愛し、
自分のためでなく、人のために生きることを潔しとしたのでないでしょうか。

お棺の上に掲げられたお父上のお写真は、
看守時代の制服をまとい、飄々とした表情で、
しかし人間としての意志の強さを感じさせる、
凛とし、透き通るような表情のお写真でした。
式場に入ってお写真を一目見たとたん、ああこの方がお父上なのだ。
なるほどな。とものすごく納得しました。
本当に一目見て納得したのです。

覚悟の上で特攻に志願し、出撃を目前にした死から生き残ったあと、
お父上は無私になられたのではないでしょうか。

お話をお聞きしながら、
その時は、涙が出てきたことに不思議さが伴っていたのですが、
あとで話を思い出し、考えながら、
自分が感じた感動の意味がわかってきて、
思い出すたびに目頭が熱くなり
私もいつか、彼の心境に少しでも近づけたら、
少しは人のお役に立てて、いい人生を送り、終えられるような気がしました。

Posted by 谷 好通 at 22時25分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2012年05月11日(金)

セスナになりたいと、思った。

先日グァムに行った時、初めて、軽飛行機のセスナに乗りました。
グァム島一周約1時間の遊覧飛行です。

私は旅客機には仕事柄よく乗る方で、
1年間に少なくとも50回は乗ります。
頻繁に飛行機に乗るのは、今は、私よりも鈴置常務ですが、
昔、私が営業の現役バリバリの頃は、年間100回以上乗ったこともあります。
それほどたくさん飛行機に乗るくせに、
軽飛行機のセスナにはまだ一回も乗ったことがありません。

セスナは、2人乗り、4人乗りの
単発プロペラ機のだ代名詞みたいに呼ばれますが、
本当は、セスナという航空機メーカーの名前であって、
単発プロペラ機メーカー自体はものすごくたくさんあります。
構造が簡単だからでしょう。
そして、メーカーとしてのセスナは
セスナ・サイテーションという高級ビジネスジェットも造っていて、
決して単発プロペラ機専門の航空メーカーではありません。

でも、今回乗ったのは、
正真正銘の単発プロペラ、四人乗りのセスナ製です。

単発プロペラ機に乗って空を飛ぶのは、私の夢でした。
本当に眠っている時に見る夢の中に、
何度か自分がセスナに乗って空を飛ぶ自分が出てきましたが、
実際に乗ってみたら、
それはもう、
感動でした。

「飛ぶ」というよりも、飛翔の「翔ぶ」という感覚です。

鳥にたとえれば、
ツバメでもなく、鷲(わし)でもなく、
白鳥でもなく、
雁(がん)でもなく、
鵜(う)でもなく、ひばりでもなく、
あえて言えば「伝書バト」ですね。
いえ、
むしろ、
オオマダラ何とかいう名前の”渡り”をする”蝶”のイメージでした。

優雅に、一生懸命、何千キロも翔ぶ、たくましい蝶のようでした。
あくまでも、か弱いのに、
フラフラと空にさえ舞い上がれば、
何処へでも、何処にまででも行ける、
そんな夢みたいな存在でした。

しかし夢はあっという間に覚めます。
ほんのちょっとした気流の乱れでも、機体ごと大きくあおられて、
フラフラと、
狭い空間で決して居心地が良いはずがない1時間が、
現実の夢を見ているうちに、あっという間に目覚めてしまいました。
本当にあれは夢と現実が一緒くたになったような、現実の夢でした。

非現実的が故に、余計に、現実の夢のようでした。最高でした。

自分もこんなセスナのようになりたいと思いました。
何百倍、何千倍もの力のジェットエンジンを持ち、
最新の複合材とジュラルミンの頑丈な機体に、
最新鋭の電子機器を搭載して
数百人の乗客を地球裏側にまで運ぶ大型ジェット旅客機は、
飛んで、乗客を運ぶだけ。
運ぶのが仕事。
でも、あのセスナは違った。
たった二人の乗客ではあったが、
フラフラと空に舞い、
私たちに夢のような時間を作ってくれた。

私は、あのセスナみたいになりたいと、思った。

画像(550x404)・拡大画像(800x589)

ブーーーと、単調なエンジンの音を立てて、
グァム国際空港から、ふわっと空に舞い上がる。
すぐに旅客機とは反対側に機種を曲げ海に出る。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

そこから北上して、
なんと米空軍のアンダーソン基地が一望できる空に進入。

パイロットが無線で空軍基地の管制塔に
「入っていいか?」と、聞いて、
・・・・・・・
「OKが出たので入りマース。」で、入ったのだ。

セスナだからこそ許されるみたい。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

撮った写真を拡大すると、
アメリカの超大型爆撃機B-52がずらっと並んでいる。
ベトナム戦争の頃から使われている老兵だ。

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アンダーソン基地をぐるっと回り込むと、
太平洋戦争当事に使われていた旧空軍基地の跡があった。
ここからB-29が日本本土に爆撃に飛び立ったのです。

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もっと回り込むと、レーダー基地が一望される。
画面右の方に真上を向いたパラボラアンテナがある。
軍事静止衛星との通信に使われているようだ。

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グァム島北部は米空軍基地で占められていた。
そこから南下すると、ビーチが現れ始める。
少しほっとする。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

観光ホテルのメッカ「タモン湾」を通り過ぎてしばらく、

「正面からスタージェットが来る。無線がそう言っている。」
とパイロットが言う。
スタージェットとはオーストラリアの格安航空会社の名前。

そこは一般のジェット旅客機が
グァム国際空港へ着陸のための進入のルートなのだ。

そこを反対の方向に飛んで進みながら
「正面からスタージェットが来る。」
とは、おだやかではない。というより恐怖だ。

でも、パイロットは
「大丈夫、高度が450m、向こうの方が高いから。」
というが、もちろん怖い。

すれ違うはずのジェット機を目を凝らすように見るが、
見えないまま過ぎてしまったようだ。
本当にドキドキだった。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

ホッとしたのもつかの間、
今度は米海軍の基地だ。グァムは島全体が基地のようだった。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

上空をゆっくり飛ぶと(もともとゆっくりだが)
原子力潜水艦が停泊しているのが見える。
攻撃型の原子力潜水艦のようだ。

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同じような型の原子力潜水艦がもう一隻。

画像(550x387)・拡大画像(800x564)

これで物騒な島の部分が終わって、平和なグァムに戻る。
沿岸を南下して、最南端に近い。

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8年前の台風で壊滅的に壊れてしまった観光島「ココス島」の上を飛ぶ。
宿泊施設は破壊されたままだが、ビーチとしての観光は復活しているそうだ。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

ココス島から北上。
島内部に入っていく。

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横井庄一さんが二十年以上隠れていたジャングル。
ジャングルといっても木のないところがまだらにあって、
よくこんなところに隠れておれたものだと感心する。

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道路脇に人家がまばらに続く。

画像(550x412)・拡大画像(800x600)

「さぁ、そろそろ帰ります。」とパイロット。

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低い雲の間を飛ぶ時に「ブロッケンの輪」が見えた。
太陽が反対側にあって、飛行機の影を雲に映した時、
影の周りが屈折した光で虹のような輪になる現象だ。

見えますか?真ん中より少し左にあります。

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正面にグァム国際空港が見えてきた。
ここでパイロットが困ったように
「まいったなぁ」と言う。

「無線が込み合っていてなかなか割り込めない。着陸許可が取れないんだよね。」
「大体この無線が壊れていて、なかなか通じないんですよ。」
無線のボタンを何度も何度もカチカチと切り替えて、
やっと無線が通じ、
「よし、OKが出た。着陸しますっ」
またまた、ドキドキでした。

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かなり斜め前から急角度で滑走路に進入する。

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旅客機に乗っていたら絶対に撮れない絵だ。

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あっという間にタッチダウン。

滑走路の黒い跡はジェット旅客機のタイヤの跡」

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着陸してから何百メートルもしないうちにさっさと脇に逃げる。

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セスナの基地に帰還だ。

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私の目の前。
「そっちの方が景色がいいから、そっちに座ってください。」と言われて、
私はずっと操縦席に座っていたのです。
「ちょっと操縦してみますか?」と、親切に言ってくださったが、
もちろん、・・・

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「SKY GUAM」のグァム島一周コースでした。
降りてから「こいつポンコツだからなぁ」とパイロットさん。
いえいえ、とても素敵なセスナでした。

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主翼とエンジンがないセスナの脇を、
次のお客様を乗せて「SKY GUAM」が、また滑走路に向かいます。

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その手前には、尾翼の方向舵と主翼の一部がないセスナが止まっている。

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・・・・・・
エキサイティング、スリリング、かつ、ドリーミーで素敵な1時間のフライトでした。

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Posted by 谷 好通 at 16時56分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 2 )

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