谷 好通コラム

2020年02月26日(水)

2.26.最高の組み合わせ

今日、たまたまガーシュインの「ラプソディ イン ブルー」を、
レナード バーンスティン指揮のロスアンゼルス フィルハーモニーで、
しかもバーンスティンのピアノソロで聞いた。
文句のつけようのない完璧な組み合わせだ。
アドリブが入り込む余地がない完全なクラッシックなのに、
まるでジャスのように独特のタメが随所にあって、
クラッシックもジャズも大好きな私にはたまらない名曲の一つであり、
最高の組み合わせです。

最高の組み合わせとはあるもので、
たとえば、#37 KeePer TOM’S LC500は、
平川亮とニック キャシディの組み合わせが最高だった。
二人の攻撃的なドライビングは、私たちを飽きさせないし、
タイヤマネージメントの巧みさと、頭脳的かつ戦略的な走りは、
レース後の解説がいつも楽しみだ。
2017年にRC-Fでチャンピオンになった後、
2018年、2019年とLC500で連続2位に甘んじたが、
いずれも最終戦にまでチャンピオン車とデッドヒートを繰り広げてくれたが、
残念ながら、結局、#37のLC500をチャンピオンにすることなく、
その車をトヨタとして久しぶりのレクサス車からトヨタ車のスープラとした。
さして、ドライバーは今年も
最高の組み合わせの平川亮とニック キャシディのアグレッシブコンビだ。


EXキーパーのこれからのベストコンビの販売ツールになっていくはずです。

画像(640x452)・拡大画像(800x565)
画像(450x640)・拡大画像(563x800)
画像(450x640)・拡大画像(563x800)

Posted   パーマリンク

2.25.EXキーパー先行販売と施工スタート、滑り出し好調、満開

EXキーパーの先行販売の時期を2月22日としたものの、
パンフレットとかメニューブックとか販売に伴うツールが中々出来ず、
やきもきする場面もありましたが、
技術習得とかケミカルや道具を揃えることも一応出来て、
とりあえず、無事に先行販売が始まりました。

しかし、このEXキーパーの発売は何かで大々的に発表した訳でもなく、
単にネットでの「開示」とこのブログに書いただけ。
こんな状態で、LABOでやおら売り始めても、
高いコーティングが売れるものだろうかと心配であった。
意外や意外、
初日から快調な売れ行きで、
しかも、普段から目立っている花形店舗だけでなく、
どちらかと言えば地味な店舗でも、何気なく施工されていて、
その日の日報で、
店長がお客様からEXキーパー施工後お渡しした時の様子を、
「本日発売のEXキーパーをお任せ頂きました。
仕上がりをご覧いただき、『凄いツルツルしてて艶も凄い』と
満足してお帰りになられました。」(高島平店)
と、興奮気味に報告している文章を見て、
こちらも興奮しました。

発売初日から10台も注文をいただき、施工されました。
店頭でのご案内だけで、ここまで行けるとは思っていなかったので、
改めて、このクラスのコーティングの需要の存在に確信が持てた思いで、
気分は満開です。

一昨日の日曜日に、鈴鹿のしだれ梅を見てきました。
去年、3月18日の腰の手術の三日前に外出でこの梅を見に来て、
その時も満開でした。
そう考えると、今年は、しだれ梅の満開が三週間も早いということで、
今年の暖冬具合に改めて気が付きました。

画像(600x450)
画像(640x480)・拡大画像(700x525)
画像(640x480)・拡大画像(700x525)
画像(640x480)・拡大画像(700x525)
画像(640x480)・拡大画像(700x525)
画像(640x480)・拡大画像(700x525)
画像(600x450)

Posted   パーマリンク

2020年02月24日(月)

2.24.歌集を造って泣いた高校のキャンプの思い出。

たぶん高校二年生の時の夏休みだったと思う。
私は三月生まれなので16歳だった。
長野県のキャンプ場にサークル活動の一環として80人位でキャンプに行った。


その前の”中学生”の時の二年間
名古屋市南区の自宅のすぐ近くにあった学習塾に通っていたのだが、
その学習塾の先生が、
国立大学の自治会の委員長でもあって、
授業の勉強の合間に、余談として、
自分の事は自分自身が治める自治の理想の話を夢のように話された。
政治的に言えばマルクスが下敷きであったが
しかし、そこは色のついていない学習塾だったので
むしろ政治的な話はいっさいされず、
政治の話というより哲学として価値観に関わる話だった。

他の動物は本能的に自分と自分の子孫の為に闘い生きるが、
人間という精神的な高等生物だけが、
他人の為や、仲間の為に働き、闘い、生きる事が出来る。というような話だ。

元々人間は、
他の人や権力に支配される義務や運命など無く、
隷属や服従する義務を持って生まれた訳でも、育った訳でもないのだから、
自分の意志と自分の力で、
自分を動かせなければならない。
なのに、自ら進んで隷属し服従するとしたら、
それはそうさせられているような被害妄想を隠れミノにして
それはその方が、自分が楽であるからに他ならず、
むしろ、それは自分の為だけだ。
逆に言えば、
人は宿命的に自分の意志と力で自分を動かすことが出来るのだから、
他人の為や、仲間の為に働き闘い生きることも出来る。

その学習塾の先生は、
中学校の時は教科の勉強の合間にそんな話をしてくれて、
子供たちに影響を与えたが、
本来の学習塾としての勉強も確かに強く、
高校受験は、ほとんどの子が合格した。
私も合格した。

皆が高校になっても、その塾に通っていた子は、
塾の卒業生たちが作っているサークルに加わって何かしらくっついていた。
そのサークルはNHC(名古屋ハイスクールサークル)と言って、
高校二年生になった子が順番に幹事になって運営することになっていた。
このNHCの最大の行事が夏のキャンプで、
塾の先生が、まだ塾を主宰している頃のピークでは
中学生の塾生も加わって
300人規模の大キャンプが開かれた。
そのキャンプには私も中学校の時に一緒に行って、
全員が巨大な焚火を囲むキャンプファイアには、深く感動した。

しかし、私が高校二年生になった頃は、
その塾の先生は大学を卒業して、愛知県の中学校の教員になっていた。
すると、残されたサークルは、自主的なサークルとして運営をはじめ、
私が高校二年生の時、自主的な運営になって二年目で、
私は幹事になって、
恒例の夏のキャンプでもたくさんの仕事をすることになった。

ピークの頃のキャンプは、
高校二年生が幹事と言っても、
その頃の塾の先生たち、つまり大学生が大学の仲間で、
実際にキャンプを切り盛りしていたので、
高校生たちは、自主性を養うために名目的に中心になって動いたものの
中学生と一緒にキャンプに連れて行ってもらった状態だったが、

その先生としての大学生がいなくなって、
サークルに残った元塾生の大学生と、
本当に高校二年生の幹事が、
キャンプを企画して、たくさんの手配をして、
キャンプに参加の募集をして、
たくさんの準備を実際にやった。本当に大変だった。
一生懸命に仕事をして、実際のキャンプが開かれたとき、
私は先頭に立って、
キャンプに参加の人たちを引率していくようなつもりでいたが、
自分より先輩の人たちが半分位いて、
誰も私の引率なんて効きもしないし、
誰も言うことなんて聞かないし
皆自主的に、つまり勝手に、好きなことをやって、
私の思った通りなんて何もなく、頭に来ていました。
その怒りのピークはキャンプファイアーが終わった夜に来ました。

キャプファイアーではみんなで歌を歌うので
私がずいぶん手間をかけて造った手造りの歌集が、皆に配られていましたが
誰もそれを造った私に「礼」を言う人もいず、
労をねぎらってくれる人もいず、
それでもみんなが歌集を見ながらの歌が盛り上がって楽しかったのですが、
キャンプファイアーが終わったら、
みんな、その歌集はゴミとして捨てられていたのです。

私の苦労が
ゴミとして捨ててありました。
何のために苦労して造ったのだろう。
そう思ったら無性に腹が立って、バンガローの中で大声をあげて泣きました。
「バカヤロー」と叫びながら。

それを見た口の悪い先輩が、
「谷っ、お前、馬鹿だなぁ、
お前が造った歌集で皆が盛り上がったんだから、
それでいいじゃん。そのために造ったんだろ。
お前、誰かに褒めて欲しかったのか。
そんなことどっちでもいいじゃん。馬鹿だなぁ」
そう言われて、
なんかバカバカしくなって、泣けなくなって、酒飲んで寝ちゃいました。

皆のためにやったんだから、
皆の役に立ったのだったら、それで十分だ。
褒めてくれたり、感謝されたりする事を求めるとしたら、それは自分の為、
そんなことどっちでもいいだろ。
と、言われたら、自分がバカバカしくなったのです。

五十数年前の大昔の事でした。

Posted   パーマリンク

2020年02月23日(日)

2.23.毎日たくさんのことがあり過ぎて、かえって、書けないのです。

もう四日間もブログを書いていません。
いちおう夜になると書こうとはするのですが、
毎日たくさんのことがあって、しかも、それがいちいち重くて、重すぎて、
考え込んでいるうちに解らなくなって、そのうちに眠ってしまうのです。

三日前の朝、東京に出かけて、一昨日にかけての二日間
東京の機関投資家の皆さんに対して半期決算の報告をしてきました。
※これをIR(インベスターリレーション)と言います。
私が皆さんに対して説明するのが主ですが、
投資家の皆さんからの質問に対して答える内に私自身が気が付くことも多く、
これからの経営に役立つことが多くあって、キツイですが、私は好きです。

KeePer技研は、ちょうど五年前に東証に上場して以来、
五年間に売り上げが約2倍になり利益が約3倍になりました。
株式市場では成長企業が評価されて、成長度以上に株価が着くものですが
KeePer技研は株価が上場時の公募価格に対して約二倍でしなく、
企業価値とも言える時価総額も二倍でしかないのは、なぜなのか。
そんな要因をいくつも教えてもらって、
深く考え込んで、なるほどと納得して、
どうすればいいのかも納得して、
頑張ってやっていく方向も見えたのですが、それはなかなか書けません。

そんなことを考えながら、
世の中は新型肺炎のことで大騒ぎになってきた。
最初の時点で思い切った処置をしていれば、
こんなひどい事態にはなっていなかったはずだが、
世の官僚たちが建前へのこだわりと、政治家たちの責任逃れと、
色々な躊躇が重なって、
事態は、昭和から平成に移る時以来の総自粛になって、
とうとう我々も、自身の大きな集まり
キーパー技術コンテストを自粛することを検討する羽目になった。
それを話し合うために、
全国の営業所の所長を集めて臨時所長会議を開いたのです。

議題はそのことと、
新しいサービス「EXキーパー」のラボでの先行販売についてと、
4月1日からのPRO SHOPさんでの販売についての準備についてであったが、
そのいずれについても、誰もアクションを起こすどころか、
受け身でしかないことにショックを受けて、
この会社の体質が、
誰もが物事に対する主体であることをさぼって、
言われたことをすれば事が済むという悪しき体質になっていることに
絶望を感じて、癇癪を起して、せっかくの会議を台無しにしてしまった。
が、こういう時には私はいないことが一番良いということを私は知っている。
だから、まだ午後4時でしかなかったが、休憩中にとっとと帰る。
皆はそんなことに慣れてきているのか、
そこから10時過ぎまで、あるべき議題について話し合ったらしい。

そして今日は、午前10時から、
前日に話し合ったことについて報告したいというので、
さっさと終わるつもりで出て行ったら、
大半の所長が残っていて、ちょっと驚く、
しかし、
また、話している内にだんだん怒れてきて、声が大きくなるが、
ある独善とぶつかって、急に気が収まって、
夜までに目的の事が解決するところまで事を進めることが出来た。
このことについて、深く考えたが、簡単に書くことは出来ない。

ここ何日か、重いことがいくつもあって、
深く学ぶことがいくつもあったが、深過ぎてかえって書けない日々が続いたのでした。

明日は、とりあえず、忘れて、
梅を見に行こうと思っています。

Posted   パーマリンク

2020年02月19日(水)

2.19.パンフレットとポスター

とりあえず、先ほど、
「EXキーパー」の簡単なパンフレットとポスターが出来上がり
送られてきました。

ここから作りこんでいきます。


A4パンフレットのオモテ面

画像(450x637)

ウラ面

画像(450x636)


 B1ポスター

画像(452x640)・拡大画像(550x778)

Posted   パーマリンク

過去の記事へ

ページのトップへ ページのトップへ

最近の記事

プロフィール

谷 好通

代表取締役会長兼CEO

谷 好通

キーパーのルーツであり、父であり 男であり、少年でもある谷好通の大作、名作、迷作コラム。
読めば読むほど元気になること間違いなし。・・・の、はず。

検索


カレンダー

2

2020


            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

リンク集

過去の記事


RSS1.0

powered by a-blog

[Login]


(C) KeePer Giken. All rights reserved.